Wednesday, January 28, 2009

町内犬地図 (4)

最近は本当に野良犬や放し飼いの犬を見なくなった.
ファームのある田舎でさえ,犬たちはもれなく繋がれている.
先日,たまたまリードが外れて,田舎道をブラついている犬を見かけた.
何だか激しく懐かしい気がした.
そして自分でもびっくりしたことに,知らず知らずのうちに右手が胸ポケットを探っていたのである.


最後に,悪い癖ですが「替え文」を一つ(これがやりたかっただけだったりして).

***
 ボーダーコリーの問題は「きりがない」ことだ。
 ボーダーコリーは確かに、お座敷犬やショードッグに比べれば品のない犬だが、逆にいえば、この犬はイヤというほど汚れることによってはじめて犬たり得る犬だ。こっちの身体が痛くならないと作業した気にならないのだ。ボーダーコリーにほどほどはない。やり足りないか、やり過ぎるかのどちらかなのだ。
 しかもボーダーコリーは、自宅の室内はもちろん、庭でも公園でも車の中でも、旅行や買い物や仕事にも、着いてくる。ボーダーコリーは私が行くあらゆる場所に、あまねく存在し、私に向かって、
「さぁ遊びますよ」
と呼びかけることをやめない。
「勝手に遊んでやがれ」
と、思うときもあるが、そうやって一途に私を見つめて待ってくれているものを、拒み続けることができるだろうか。
 救いのない話ですまない。そう。お察しの通り私はやつらを無視しながらこれを書いている。本当にうざい。
***

おわり
 

町内犬地図 (3)

話がずれた.
とにかくその頃には町のあちこちに親交のある犬がいて,彼らと挨拶を交わすことが日課だった.
そのおかげで,幼なかったまろ少年は,随分と気分的に救われていた気がする.

子供は気楽で良いと言う人もいるが,そんなこともないと思う.
大体子供なんて,勉強とか行儀とか,つまらないことばかりさせられている.ほんとうに怒ったり喜んだりできるのは(つまり本当に物事を楽しめるのは),年を重ねていろんなことが見え始めてからだ.
そのくせ,生きることへの不安とか混乱は,大人と同じか,むしろそれ以上に感じている.実際,子供は庇護されないと生きていけないんだし,知識や経験を使って,わけのわからない不安から目を逸らす術も知らない.何より,言葉を操ってその不安や混乱を人にパスすることができない.

皆ではないにしろ,そんな子供にとって,街のあちこちに知り合いがいるというのは,実はとてもありがたいことではなかったかと思う.
少なくとも自分はそうだった.
飼い犬も含めて,彼らは決して幸せには見えなかった.幸せどころか,生きるか死ぬかの瀬戸際というようなのも少なくなかった.そんな彼らが,それぞれの厳しい生活を背負ったまま,うれしげな顔で,たまに出会うだけの少年に親しみと礼儀を示してくれるのである.
たまたま,特に気の良い2,3頭に出会えただけで,その日一日,町や社会に受け入れられた感じがすることもあった.
大人にとって取るに足らないことかも知れないが,そんなことを経験できる機会は,多ければ多い方がよいと思うのである.

(4)に続く
 

町内犬地図 (2)

自分を振り返ると,物心ついてから今日まで,大体において犬は好きだったけれど,ピークは小学校3年の頃だったと思う.その頃は,頭の中に「犬地図」があった.その地図には,町内のどの家に犬がいるかだけでなく,どこの犬は人懐っこいとか,どこの犬は冷たいとか,そして大事なポイントとして(その家の人から怒られるか否かを含めて)どこの犬が外から触れるか,といったことが,きめ細かく書き込まれていた.

飼い犬だけじゃなく,野良犬に会える場所にも詳しかった.お宮さんとか原っぱとか壊れかけの空き家とか,当時はそんな「野良犬スポット」が結構あった.
そして,学校に行きたくなくて家でぐずぐずしていると,犬地図のいたるところから知り合いが顔を出し,そいつらが一斉に「○○君,つまんないよぅ」と語りかけてくるのである.おかげで遅れずに家を出ることができた.ただ,あちこちの犬に挨拶しながら歩くので,やっぱり遅刻してしまうのだけれど.

前にも一度書いたことがあるが,外に出かけるときにはいつも,上着の胸ポケットに一握りのだしジャコを入れていた.知り合いへの挨拶だけでなく,警戒心の強い犬や愛想の悪い犬を手なずけるのに使った.たまに自分のおやつになることもあったけど.

たまに,そのジャコが胸ポッケに残ってるのを忘れたまま,服を洗濯に出してしまうときがあった.
知らないでしょう!?...洗濯機の中のジャコの怖ろしさをっ!
たった2,3尾の身とウロコが水流でほぐれ,幾千の断片となって浮遊し,洗濯物に付着するのである.
最初のうち,母は洗濯物に着いたキラキラが何かわからなかったらしい.やがてその正体が判明すると,どちらかというと温厚だった母もさすがにブチ切れた.後始末の大変さくらいはわかったので,申し訳ない気持ちで一杯だった.
ただ,その癖はなかなか直せなくて,中学生になっても同じことを仕出かしたことがあった.そのときはキラキラしたままの制服を渡されただけで,何も文句は言われなかった.
母はきっと,,,情けなかったのだろう.

(3)に続く
 

町内犬地図 (1)

話のきっかけに,アル中歴のあるコラムニスト小田嶋隆氏の一文をお借りする(さすがプロ,ビール片手にこんな文章が書けるとわ).

***
 ビールの問題は「きりがない」ことだ。
 ビールは確かにウイスキーや日本酒に比べればアルコール度数の低い酒だが、逆にいえば、この酒は浴びるほど飲むことによってはじめて酒たり得る酒だ。頭が痛くならないと飲んだ気がしないのだ。ビールに適量はない。飲み足りないか、飲み過ぎるかのどちらかなのだ。
 しかもビールは、自宅の冷蔵庫にはもちろん、自販機にも喫茶店にも映画館にも、ドライブインやそばやにも、ある。ビールは私が行くあらゆる場所に、あまねく存在し、私に向かって、
「冷えてますよ」
と呼びかけることをやめない。
「勝手に冷えてやがれ」
と、思うときもあるが、せっかく私のためにそうやって冷えてくれているものを、拒み続けることができるだろうか。
 まとまりのない話ですまない。そう。お察しの通り私はビールを飲みながらこれを書いている。本当にすまない。

***

なるほど酒好きには世の中ってそんな風に見えてたのか.
まろはからっきしの下戸だからビールたちは一向に呼びかけてくれないが,"ビール" を "犬" に置き換えれば,その感じだけはわかるような気がする.

(2)に続く