Tuesday, November 20, 2001

盲目のゴルディ

 そうそう,この間,他サイトのBBSに投稿して思い出したんですが,りんと暮らし始めた頃,盲目のゴールデンレトリーバーに会ったことがあったっけな.

 早朝の誰もいない公園で,その子は姉妹らしき女性2人と一緒にボールで遊んでました. 最初は,「仲の良いパーティだな」 くらいにしか思わなかったけれど,すぐに犬の動きが普通じゃないことに気がつきました.

 ボールを高く放り投げても,その子は四肢を緊張させるだけで一歩も動こうとしません. 最初にボールが弾んだ瞬間,さっとボールの方向に向きを変え,その姿勢でまた神経を集中させています.2回目のバウンドでボールに突進し,また立ち止まって静止.これを何度か繰り返し,ボールがコロコロと転がりだした頃,ようやくキャッチし,嬉しそうに飼い主さんの呼ぶ方に戻ってきました.

 「そうか〜,この犬は音だけでボールを追ってるんだ!」

 それがわかると,この子の変則的な動きが理解できました.そして,神経を研ぎ澄まして音を待つ姿が,とてもかっこよく目に映りました.いや〜,それにしても,,,本当に楽しそうだったなぁ.

 飼い主さんとも少しだけ話をしました.
  ・・・目が見えないとわかったときはショックだった・・・
  ・・・でも犬の屈託のない様子に救われた・・・
  ・・・この子はもう一人でも生きていけるだろうけど,自分はわからないなぁ・・・
そんなことを淡々と語ってくれました.

 そう言えば,犬って誰かを羨んだり,運命を嘆いたり,お節介を焼いたりしませんよね.ただ,自分の人生を一生懸命生きるだけです.まぁバカと言ってしまえばバカなんでしょうが,真似しようったってそう簡単にできるもんじゃありません.実はとっても上等で潔い精神なのかもしれません.

 「犬はみんな天使です.」 そうおっしゃった飼い主さんは,やっぱり犬のようにまっすぐでイタズラっぽい目をされていました.

Thursday, September 20, 2001

読書感想文

 友人に教えられて,ヘリオット先生の本をいくつか読みました.ヨークシャ地方の獣医さんだけあって,牧羊犬がチラホラ登場してきます. 中でも,一話の短編が気に入ったので,ちょっと紹介したくなりました.


 「彼」 は,誰もが一目置く気難し屋の農夫. 牧羊犬の繁殖家/訓練士/競技者としても一流です.

 あるとき,彼は2頭の子犬を訓練していましたが,なぜか優秀な方(スイープ)を知人に譲ってしまいます.その犬たちが2歳を過ぎた頃,手元に残した方のジップが突然ケイレンを起こすようになりました.獣医である作者は,それがテンカンであり,完治できないことを彼に告げます.彼は悩みながらも犬を処分しようとせず,薬で症状を軽くするよう依頼します.
 作者は(人懐っこいジップを処分せずに済み)ホッとする一方で,それを,彼としては奇妙な決断であると感じます.

 なぜなら,その辺の農夫たちは, 仕事をさせる以外の目的で犬を飼うことを恥じていて,他人に知られたくないと思って いるばかりか, 愛はウィークポイントでもある とさえ信じているからでした.事実,彼も,一流の訓練士として 競技用シープ・ドッグの飼育調教に関しては鉄の意志を持って おり, 水準に達しない犬は,情容赦なく淘汰してきた のでした.
 そんな彼が,優秀な子犬を人に譲っただけでなく, 役立たずの犬を飼い続けようとしていた のですから,作者がいぶかしく思ったのも当然だったわけです.

 理由は簡単でした.もともとある考えを持っていた作者は,それは彼がジップに惚れてしまったからだと推測します.それはすぐに,次のような確信に至ります.

だからいまもって,私は持論に固執している.農場の犬だってペットであり,農夫はみんな犬が好きだから飼っているのだと思う.拷問にでもかけない限り,彼らはそうだと白状しないだろうが,私は自分の方が正しいと思う.

 面と向かって彼にそんなことを問いただせるわけもなく,作者が本当に正しいのかどうかは,最後までわかりません.
 ただ,この 「拷問にもかけない限り」 という一節に,農夫たちの頑固さと優しさとちょっぴりのユーモアが込められているようで,私にはなかなか良かったのです.
 ただし,このお話の本筋は,生まれてから一度も吼えたことがなかったジップが,トライアル大会で優勝したスイープに向かって,一生に一度だけ 「ワン!」 と吼えた,というエピソードにあります.もちろん,これもグッドでした.

 そのほか,この話の中にはチラホラと農場の犬たちの描写があります.引用していくとキリがなくて,結局全文を書き写したくなるんですが...

 私は牧場を訪ねると,まず犬を探すことにしている.犬がいれば,その近くに主人がいるからである.

 刈り入れの時,馬車の上にふらふらしながら立っている犬がいる.麦刈りの季節、乾した束のまわりでネズミを追っている犬がいる.牧草地を歩き回っていたり,牧舎のまわりを嗅ぎまわっている犬がいる.彼らはいったい,何をしているのだろうか?

 たとえば私が,診察のために牛を囲いに追い込もうとしていると,頼みもしないのに犬がやってきて,後ろ脚や尾に噛みついて仕事に加わろうとする.(中略) 犬は労働しているのではなく,彼らの人生を愉しんでいるのではないだろうか?

 私は,自分の犬が幸福であってくれといろいろ工夫するが,しかし牧場の犬の方がずっとずっと幸せである.

 互いに見知らぬもの同士だったが,居辛そうにしている犬はいなかったし,喧嘩をする犬もいなかった.この犬たちは従順で,おとなしいのである.

 ほれ,読んでてお尻のあたりがムズムズしてくるでしょ!?


Sep 20, 2001

太字部分は「愛犬物語」(ジェイムズ・ヘリオット著,畑正憲/ジェルミ・エンジェル訳,集英社)収録のお話 「ただ一度,ワン」 より.

Wednesday, August 01, 2001

りんの憂鬱

あたしは りん.
おもしろくないわね...

なにがって ぜんぶよ.
さんも ねこも パパも ママも みんな 気にいらない.

いちばん わるいのは バカおとうとの さん!
だいたい 24じかん あいつといっしょっていうだけで うんざりなのに,
ヘラヘラわらいながら 「ねえひゃん ほれほれー」 って あたしの目のまえを 行ったりきたりするの.
ず〜と むししてるんだけど あいつの顔が あんまりアホなもんだから, つい 「あっちいけ!」 って 相手しちゃうの.
そのあといつも ひどい じこけんお...

パパも さいきんは いそがしそうにしてて なんだかつめたい.
まぁ こっちから あんまり さそわなくなったってこともあるけど...
だって もう 「あそぼ あそぼ!」 って としでもないし.
この前なんか さんのよだれで じまんのカラーがガビガビになったとき,
「きたない! よるな!」 なんて言うの.
きずつくなぁ〜.

ねこもわるい. 
ねてばっかりのくせに ごはんは いっぱい たべる.
いちばん あたまにくるのは あたしが ねこににてる っていわれること.
ま, どーでも いーけど.

りさちゃん?
もう しょーがないじゃない.
パパも ママも 仲よくしなさい って言うし...
泣かすの やめたわ.
それに りさちゃんも 女としては まだまだだけど わりと でりかしぃあるしね.

まぁ とにかくよ.
どいつもこいつも おもしろくないわけよ.

はい もう おわり.
あっちいって.

Monday, May 28, 2001

ぼくの1にち

ぼくはぼーだーこりーのおとこの子です。
なまえは「サン」といいます。
でも、パパもママも「ちゃん」ってよびます。
もうすぐ,うまれて半年になります。

ぼくはお外があかるくなってくるとおきます。
ママは 「まだ4時なんだからねてなさい」 っていいます。
でも、ぼくはがまんできません。
だから、ママをおこそうとして、なるべく大きいおとをたててしんぶんをやぶったり、ぼーるやくつやでっかいほねをママのかおにおとしたりします。
ちょっとまえまでは、ママもよろこんでおきてくれたのに、このごろはおきてくれません。

そのかわり、5じはんくらいになると、パパがときどきあそびにつれていってくれます。
とってもうれしいので、ついおおきなこえで 「ふひんふひん」 ってないてしまいます。
パパもママも 「しーーーーーっ!」 っていいます。
りんねえちゃんはぜんぜんなきません。
なんでかな?

あそびからかえってくると、パパもママもりさちゃんもどっかにいっちゃいます。
すごくさびしいけど、りんねえちゃんは 「そういうものなの」 っていいます。
そのかわり、いろんなことをしてあそびます。
ママとパパがいるときはテーブルの上にはのっちゃいけないけど、みんながでかけたらのってもいいんです。
こないだは、おなべのなかにおにくのはいったスープがあって、おなかいっぱいたべました。
それから、ざぶとんのわたをだしたり、りさちゃんのおもちゃを食べちゃったりします。

りんねえちゃんは 「なまごみ」 ってやつがだいすきです。
これだけはぼくはさわらせてもらえません。
りんねえちゃんは,ときどきすごくこわい顔でにらむんです。

ママとりさちゃんは6じにかえってきます。
とってもうれしくてなんどもなんどもとびつくと、りさちゃんはいつもないちゃいます。
かおやくびがきずだらけになるからです。

ママは 「ただいま」 ってあたまをなでてくれるけど、すぐにケージにはいってなさい、っていいます。
「やだよー」 っていうんだけど、きいてくれません。
ぼくがいるとそうじのじゃまなんだそうです。

いっしょうけんめいぼくがだしたざぶとんのわたや、やぶったしんぶんやちらかしたおもちゃや、うんちのついたカーペットをきれいにします。
そうじがおわると、ぼくのあしもあらいます。
きっと、さっきうんちふんだからだろうなぁ・・・。

そのあと、ごはんをもらいます。
「はやくはやく・・・」 ってもんくをいうと、りんねえちゃんにおこられます。
ねえちゃんだって、ママにくっついてさいそくしてるくせに。

そのあと、パパとママとりさちゃんのごはんです。
もしかしたらなにかもらえるかもしれないので、ずっとみんなのそばにくっついています。
りさちゃんが、おはしにおにくをもったままてれびをみてるときが、いちばんねらいめです。

そのあと、おもちゃをいっぱいだしてあそんでもらいます。
あそんでくれないときは、しんぶんをかじったり、
くつをかじったりすればぜったいあそんでくれます。

9じすぎるとだんだんねむくなってきます。
ママがなにかいってるようだけど、ねむいときはねむいので、よくわかりません。
ぼくは、ねつきのいいのがじまんです.
おやすみなさい。

「また4時におきるんだから、まだねるなー!!・・・・」


 ぼく...

Monday, April 30, 2001

だれのため?

犬の飼い方なんて十人十色,そんなもんだと思います.
犬にとって何が幸せかなんて,本当のところわかるはずありませんもんね.
ずっと繋がれっぱなしの犬だって,飼い主にバカ呼ばわりされてる犬だって,
みんな一生懸命生きてるし,飼い主を見る目には星入ってます.
それを不幸だって決めつけたら,犬に対して失礼かもしれません.

「犬のために××してやるべき」 とか 「○○したら犬がかわいそう」 なんてセリフは,どうも白々しく聞こえていけません.
大体,犬を飼い始めたのだって,彼らの望みを聞いたわけでも無いし,そもそも,犬って人間に都合良く作り変えられてきたんだし.
今さら, 犬のため もないでしょう...なんてね.

だから,ちょっとだけ考え方を変えてみる.

犬を理解しようとするのも,犬に時間を取るのも,犬に向き合うのも・・・ それもこれも,みーんな 人間が 幸せになるためなんだって.
例えば,こう開き直ってみれば少しはスッキリするかも.
そう, 「犬が喜んでるのを感じられたら (そう思いこめたら) 楽しいですよ」 って.

子供の頃は,自分が何かをしてるときだけ楽しかったものです.
それが,いつの頃からでしょう,自分より子供や犬が楽しんでいるのを見てるときの方が,楽しいと感じるようになってきたのは.
食うに困ってない者のたわ言?
そうかもしれません.
でも,そう感じるんだからしようがありません.

だから,私は犬と一生懸命遊びます.どこまでも自分のためです.
犬には喜んで欲しいと思います.
それを見て自分が良い気分に浸りたいから.
ときどきは他人にもそう勧めます.
「犬と一生懸命つき合えば,きっと 「得」 をしますよ」 という気持ちを込めて.

Friday, March 30, 2001

いぬのちから

 2月の初めだったかな,めずらしく平日にポッカリ時間ができたので,夫婦とりんとで,近所の裏山を散策したことがありました.山とは言っても30分で頂上に辿りつける,まあ何ということも無い雑木林で,おまけにここ何年来っちゅうくらいの寒波が来てたときで,人影の消えた寂しい枯葉道をテクテク歩きました.
 りんは...やっぱり大喜びでした.さすがにマキノの雪ほどじゃなかったけれど.
 何度も何度も通り道を往復したり,鳥の気配に耳をそばだてたり,こちらがちょっと隠れたりするとムキになって抗議しに来たり...冬の午後の2時間が,あっという間に過ぎていきました.

 でも,せっかくの平日の空き時間,共働き夫婦には,他にやんなきゃいけないことがいくらでもあったはず.掃除とか洗濯とか買い物とか... こんなことで時間を潰して良かったのかなぁーって,いまだに疑問です.とても静かで,楽しい時間が過ごせたのも確かですけど. 「りんのせい」 なのか 「りんのおかげ」 と言っていいのか,今だにわかりません.

 犬を飼い始めて,自由に旅行できなくなったことは確かです.でも,これまで何とも思わなかったようなところでも,楽しく過ごせるようになりました.犬が側にいて,彼らが楽しそうにしているのを見てるだけで(ホント,たったそれだけのことなんですよね),原っぱだろうが川岸だろうが雑木林だろうが,丸一日ぼーっとしてることも苦ではなくなりました.

 犬が 「自然と人間の通訳」 を演じてくれてるのかもしれませんね.
 そしてこれって簡単なようだけど,実は 「本能を一杯残し」 ながら,なぜか 「人間が好き」 ,その上 「遊ぶことが大好きで喜びを隠せない」 犬という動物だからこそ,初めてできるマジックなのかもしれません.

 そう考えると,今度のことも 「りんのおかげ」 と思ってしまうのでした.
 ま,今回も単なる親ばか話なわけですが...


 りんから一言 → 「わけのわからんことを...ひとっ走りするよ!」

Sunday, February 18, 2001

こんなこともあった...

 そうそう、りんが10ヶ月くらいの頃、しつけ教室っていうのに1度だけ参加したことがある。確か初夏の暑い日だったと思う。特に何かに困って・・・というわけではなかったのだけど、こういうところでどんなことをするのか、全く知らなかったので行ってみることにした。
 炎天下の中、ゴールデン、ラブたちに混じって指導を受けてきた。横に座らせて近くを訓練士が通っても動じない訓練。伏せさせて、飼い主が周りをまわっても動かない訓練。他人が近寄っても飛びつかない訓練。・・・・・・。
 ま、家庭犬の訓練、っていったところなんでしょうね。

 でも暑かったんです。
 人間だってタープの中にすぐに避難していたのに、黒ラブやB/Wのボーダーコリーにはちょっときついお天気でした。りんはしばらくイヤイヤ私につき合ってくれていましたが、とうとう、「フセ」をしなくなり、私が彼女の手をつかんでフセの形を整えようとしたとき、かなりきつく手を噛んできました。
 目は 「もうイヤだ!」 と訴えていました。

 こういうときは、形だけでもきちんとさせてから、終わりにするべき、犬が嫌がるのを犬の言いなりになってはいけない、といった意見をもらいました。

 でもね、私は 「りん、ごめんね」 って思いました。私だって、暑かったんだもの。そして、心の中で 「家庭犬、しっか〜〜く!!」 って笑ってました。

 それから2度とこの類の教室っていうのには行ったことがありません。

 今ですか?
 今もろくに 「マテ」 も 「スワレ」 もできません。 「スワレ」 と 「フセ」 の区別もかなり怪しいです。

 どんなところへ遊びに行っても彼女は私たちからつかず離れずふらふらしています。ときどき、私たちを振り返って、 「まだ遊んでてもいい?」 と目で訊いてきます。笑って首を縦に振れば、またその辺をうろうろ。 「帰っておいで」 と言えば、普通の顔で戻ってきます。喜んでいるのでも、媚びているのでも、しょげているのでもない普通の顔。

 訓練競技会にも家庭犬テストにも程遠いけれど、これが一番素敵な関係だと私は思っています。

 そりゃあね、たまには 「ちぇっ!!」 てな顔も 「えーーー!!!」 ってな顔もするんですけどね!

Tuesday, January 09, 2001

怒涛の9日間

 21世紀最初の冬休み.今シーズンはあんまり期待してなかったんだけど,タイミング良く降りだした雪のおかげで,山小屋遊びはロングランの雪合宿となりました.
 りん嬢は今回も炸裂なさいました.
 行きのドライブ中に,白いものがチラリと見えた頃からそわそわしだし,雪化粧の目的地に着いたときには,ケージの中で気もそぞろでした.車から出してやったとたん,頭から新雪に突き刺さったのには笑いました.

 いやーそれにしても,「こいつはバケモンか?」と思いましたね.
 雪玉投げ,ボール追い,かくれんぼ,フリスビー,,,手を代え品を代え,1日中(といっても4時間くらい)走らせても,まだまだ雪遊びに執念を燃やす白黒の毛玉.
 それが結局,最後の日まで続きました.丸々9日間.さすがに運動し過ぎじゃないかと,こちらが心配になってきたほどです.

 大体,嫌な予感はありました.
 もともと雪の好きな子でしたが,3歳になる前後から気力,体力ともますます充実し,1日中走りまわってもやる気ムンムンの犬になってしまいました.責任は飼い主の側にあるんですが...
 あ,ちょっと弁護しとくと,普段は家の中でとても静かにしてるんですけどね.

 フードをむさぼった直後,薪ストーブの前でアメーバ状態になったりん.
 「やっぱり疲れてるんだ」と,ちょっぴりホッとするのでありました.

 来年も遊べますよーに.