Wednesday, September 25, 2002

さんという犬(2)  −或親馬鹿確信犯乃犬養育論−

彼は,生まれて2ヶ月半あまり,同胎兄弟と一緒に母犬の下で暮らしていた. 生まれたところはごく普通の家庭であるが,どこか根性のすわった飼い主さんのもと, 10頭足らずの犬たちが和やかに暮らしていた(どこが普通?(笑)). 兄弟たちは順に里子に出されていったが,彼ともう一頭だけは最後まで残っていた.
そんなわけで彼は,心が安定した母犬に顔を埋めながら, ボスや群の仲間にも見守られ,ゆっくりじっくりと幼年期を過ごしたのである. 実際のところ,幼年期の体験がどれくらい性格に影響するのかは知らないけれど, 少なくともここで心の下地が作られたのは確かである. その家から連れて帰るとき,初めての車旅行にも関わらず,彼はすでに落ち着いて見えた.

それからうちに来て,少々気難しい姉犬(りん)と,何かと犬に指図したがる子供と, 得体の知れない老猫と暮らすことになったわけだが, まぁ大過なく育ててきたように思う. 姉犬の場合,こちらが頼りなかったこともあって, 多少混乱させるような育て方をしたかもしれないけど, 愚息のときは,そんな場面も少なかったように思う.
子犬なんておよそ腹の立つことしかしないけれど, 怒りを表に出す必要なんてほとんど無いということや, かまいすぎることの害の方が大きいなんてことが, 自分たちなりに少しずつわかってきたからである.

要するに何が言いたかったかというと,良いか悪いかは別にして, こんな環境が彼のような性格を作るのではないかと思うのである.
思うにやつは,群の中での自分の存在とか,自分が愛されるということに, これっぽっちも疑いを持っていないに違いない. 素質と育った環境を糧にして,そういう 能力 を獲得したのだ.
だから,あえて人の気を惹くようなことをしたり, 気持ちを屈折させてイジケたり, わけも無く不安になってビクつくこともない. ただ,あるがままの自分を表現しているだけなのだ.
犬はみんな,もともと愛すべき性質を持っているという.
もしそうだとすれば,彼が 「おいしい」 のは単にそれをストレートに出しているからに 過ぎないのかもしれない.

ただし,彼がいつも素直かというとそんなことはない. 新しいことを教えようと必要以上に煽ったり, 興奮度の高い飼い主と犬を見ちゃったりすると, やつは 「切れた」 かのように興奮し, こちらの言うことにも耳を貸さなくなる. いや,耳を貸すとか貸さないとか,そんなことどうでもよくなっちまって, 彼も自分がコントロールできなくなるんだと思う. こうなると,私たちではもうお手上げである.
一瞬のこととはいえ,確かに彼にはそんな一面もある.
(余談だが,これを見て 「やる気」 がある犬ですねー,と言われると困る.)

これから彼がどんな風に変わっていくかはわからない. でもその辺さえうまく扱うことができれば,もうそんなに大きく間違わないで 育てられるんじゃないかと内心思っている.

え?今はどうしてるかって?
そりゃ,ギャンギャン吠えてるヤツの首根っこひっ捕まえて,ずるずる 引っ張ってきて,なるべく落ち着いた声で,「えーかげんにせーよ!!」

さんという犬(1) −或親馬鹿確信犯乃犬観察記−

愚息のさんはいわゆる出世犬であり,我が家に来たばかりのときは "ちゃん" (もしくはちゃんちゃん), 次いで "こぞー" となり,最近,りん姉をかばったナイトぶりが認められ,めでたく "わかぞー" に昇格した.

実を言うと,彼の性格にはわからないところも多いのだけれど, とにかく物ごとに動じないのは確かだ. 牛,海,車,花火,雷,変な人,知らない場所・・・何に出会っても およそビビるということを知らない.
他の犬に対しても,見ててヒヤヒヤするくらい無防備に顔を近づける. 子犬時代にガツンと叱られたことがあるくせに,それ以降も懲りた様子は無い. わかぞーになった今でも(まだ2歳前.成犬というには程遠い), 身体全体に好奇心をみなぎらせて寄って行く. 相手のウンザリした様子も気にならないらしい.

まったくの無警戒とか鈍感かというと,そうでもない. 新しいものに対しては慎重だし,実によく観察もしている. 遊びや運動には集中するし,こちらの言葉にもよく反応する. ただ,外部の状況に怯えたり惑わされるということがない. 要するに彼は,自分のペースらしきものをちゃんと持っていて,それを頑として崩さないのだ. (こういうのが,世に言うアルファの資質なんじゃないかと思うのであるが)

それから,何と言ってもこれが特徴だと思うのだが, いつも身体全体からユーモラスな雰囲気がにじみ出ている. 犬にほとんど感心の無い友人が遊びに来ても, 帰る頃には決まって 「この犬を見てるとなごむネェ」 となるから, この印象は贔屓目だけでも無さそうである. (ご存知の方も多いが,外観はでかくてゴツゴツだし,顔は怖いし, 動くと騒がしくて落ち着かないヤツなのだが)

どこがどう笑えるかというと,これが言葉ではうまく説明できない.
確かに,耳の形が寝癖みたく毎日変わるし(普通は,左耳だけ折れてる半立ち耳), 鼻の穴が白いし,後ろ足で頭のてっぺんを掻くし,何にでも腰掛けるから妙におっさん臭いし, 見た目もしぐさも十分おかしいのだが,そんなものはすぐに見慣れてしまう. やはり原因はオツムの中にあるようだ.
ただオツムとは言っても,彼の場合,残念ながらボーダーらしい聡明さから来る茶目っ気とか,ユーモア感覚みたいなものではなさそうである. 彼自身はいつもいたって真面目で真剣なのだ.
そして真剣になればなるほど,かしこまればかしこまるほど, 何ともいえないおかしみを振りまいてしまう.
これはもう 「おいしい」 としか言い様が無い犬なのである.

どうしてこんな性格なんだろうかと考えてみた.
そりゃもちろん,第一の原因は両親の性格(遺伝)だろう. 特に彼の男親には,そんな性格を髣髴とさせるところがある. でもそれだけじゃつまらないし,実際,それだけじゃないと思ってる.

続く

Thursday, May 30, 2002

看板犬

先日,あるサイト (たくボからもリンク貼らせてもらってます) を覗いてると, 「犬は毎日でかける家人の仕事を何だと思っているのか? いつもゴミ袋を持って出るので, ゴミ捨てが仕事だと思っているかもしれない」 という意味の文章がありました.

なるほどね〜,うんうん,そうかもしれない.
犬って群である家族の行動を彼らなりに理解しようとしているはず. 群のメンバーが毎朝どこかへ消えていくのって釈然としないだろうし, 一緒に連れていってもらえないことを胡散臭く思ってるかもしれない. 本当のところ,どうなんでしょうね?

テレビの 「犬番組」 はいろんな意味で苦手なんですけど, 娘が好きなもので,ついつい一緒に見てしまいます. そこでちょっと感心することもあって,それはいわゆる 「お店の看板犬」 みたいな犬たちです. よくあるのは,小さなお店の中のどこかに陣取り,やってきたお客さんを迎える役. 何に感心するって,彼らがほとんど例外なく 「良い犬」 なところです.

テレビの演出とかこっちの先入観もあるかもしれないけれど,自分の役柄をわきまえ, 不意に訪れた人たちをちゃんと客として迎えてる.
大声でしゃべるレポーターと恐ろしげな機材(カメラなんてありゃどう見たって凶器だよな) を担いだ取材スタッフがドヤドヤ入ってきても,節度を持って穏やかに対応してる.

もともとそんな性格の犬だけが看板犬になった?
それとも,家族の人が寸暇を惜しんで訓練に励んだ?
そうかもしれないけれど,でも,やっぱり違うような気がするんですよね. 自営業の人たちだから,忙しくって犬にかまけている時間なんか無い!ってケースの 方が多いと思います.

それで勝手に想像しちゃったんですけど,あの看板犬たち,家族が働くところを小さい頃から見てきて, 自分で自分のするべきことを見つけ出したんじゃないでしょうか? あの小さい頭で 「なんとか自分もお役に立ちたいもんだ」 なんてイッチョマエに悩んでたりしてね.
そして結局,そーいうのが人間と共生する犬ってもんではないかと思えてきます.

うちの場合,朝には家族が意味ありげに一人ずつ消えていき,その後10時間は何を するでもなく留守番しています. その間ほとんど寝てるみたいだけど,これなんか,犬の気持ちにとって結構キビシイ状況 かもしれないですね. 犬にしろ子供にしろ,家族の働いている姿をなんとなく見るというのも,大事なことではないかと思います.

「りんにもちゃんと役割を持たせたい」 な〜んて不遜なことを思いつつ, あっという間にもう4年も経ってしまいました.はて,どうしたもんやら...

Thursday, April 18, 2002

幸せなひととき

マンションのベランダにしゃがみこんで、下の小道を歩く人や、車や、散っていく桜や農作業しているおっさんを柵越しに見下ろす。
 「あ、変なオヤジが歩いてるぞ!」
 「春も終わりかねー」
なんて言いながら、
身体をくっつけるようにして一緒に外を見る。たった数分の時。

別にどこで寝ててもいいんだけどさ・・・って顔しながら、トイレやお風呂のドアの前でなんとなく寝そべる。ドアを開けたとき、あ、待っててくれたのね・・・って思う瞬間。

何にもない公園やあぜ道をプラプラ散歩しながら、ときどき小声で犬の名前を呼んでみる。
あっちこっちの匂いを取りながら遊んでいても、 「なんか呼んだ?」 って戻ってくる。
いや、べつに用はないんだけどさ、いい子だね。

仕事をしようと机に向かうとき、明らかに不満気な4つの目。
 「遊ばないの〜!?」
いつのまにか時が流れて、ふと気になって後ろに目をやると、そのままの場所で不貞寝している2頭。

キッチンのシンクに手をかけて、背伸びして私の料理を見ている。そりゃ、もちろん何かもらえないかとワクワクして見てるんだろうけど、結構真剣な顔で包丁のリズムを見てたりする。
おもしろい?

Friday, January 25, 2002

生き物と暮らす

「トイレのしつけ」 で悩んでるって話をよく聞きます。

こうすれば絶対おぼえる!なんてノウハウを知ってるわけじゃないので ちょっと違う目で見てみたら・・・というお話。

 トイレシーツを寝床だと思ってるやつ。
 上手にウンチができたのに、踏み荒らすやつ。
 ぜーったい家の中でするもんか!という頑固なやつ。
 お外を散歩中になんかしてたまるか!というあまのじゃくなやつ。
 ウンチやオシッコのついたシーツをビリビリにして食うやつ。
 ・・・・・・

笑いが止まりませんな。
まあまあ、普通の感覚からしたら悲惨な状況が目に浮かびます。

でもね、生き物と暮らす・・・家族に生きているものが増えるってことは、汚い部分も増えるってことだと思うのです。人間の子供だって、着飾って表へ連れ出して遊ぶだけじゃすまないでしょう?

  我が家の人間の子供は、生まれたときから便秘気味だったの。
  新生児のときから3日に一度出ればいい方。
  幼児期は2週間出ないときもざらにあった。
  おなかに溜めすぎたウンチは、普通に毎日出るのと匂いが違うのね。

  彼女が少し大きくなって、自力で頑張れるようになったとき、
  健康なウンチの匂いがいい匂いだと思った。
  この匂いが愛しく思えた。

確かに言葉の通じない生き物には、思い通りにならなくて腹の立つことも 多々あるんだけれど、そんな部分も含めて丸ごと受け止めてあげたい。
トイレで悩む頃は、犬の心が成長するとても大事な時期だしね。
悲惨な状況だって、ちょっと一呼吸おいて眺めてみれば、結構笑えるものです。

「犬たちは私にいろいろなことを教えてくれる。何年一緒にいても 常に新しい発見がある。そんな犬たちのウンチを拾わせてもらえるなんて 幸せ。」 とまで言った人がいた。

さすがにそんな心境にはなれないけれど、たかがウンチ、洗えばいいさ、と 嘯いてる毎日である。

うちの子たちは2頭とも,生後2ヶ月くらいから、平日はずーーーっと10時間もの お留守番。毎日の帰宅はスリルとサスペンスに満ちています。

...ずりっ... 「わっ!!ゲリ踏んだぁっ!!!!!」