Thursday, December 21, 2006

じぇちの一分

田舎娘が3回目の誕生日を迎えた.

同じ一つ屋根の下に暮らしながら,できれば一人にしておいて私のことは放っておいてと,居間に集ったメンバーを土間の隅から上目使いで見ていたころが懐かしい.(...って,ついこの前のことだけど)
そんな彼女もようやく,ほんとにようやく,みんなと一緒にくつろげるようになった.

思えば初対面のときから,彼女にはどこか幸薄いイメージがあった.
フォークリフトが走り回る空港の貨物置き場に置かれた犬用ケージ.
その一番奥からこちらを窺う目つきには,子犬らしいオープンな無邪気さはなかった.

もちろん犬それぞれの性格にもよるのだろうが,長い時間を一人ぼっちで輸送されることは,幼犬の心には大きすぎる負担なのかもしれない.
街のマンションからファームののんびりした環境に移ってからも,あまり人に寄りつこうとしない頑なな態度はなかなか変らなかった.(理由はわからないけれど)

今,彼女はソファに腰掛けテレビを見ているHiroさんの横にぺったりとはり付いている.
身体を撫でられながら,穏やかに目を細めてウツラウツラしている.
大進歩だね.
そんなのフツーじゃんと笑われそうですけど,そのフツーのことができるようになるまで,彼女には長い長い時間が必要だったのです.どうか褒めてやってください.

ただHiroさんへの態度は随分と軟化したけど,週毎にしか会わない私に対してはまだぎこちなさが見え隠れする.
もちろん,顔を見れば歓迎してくれるし,足元に倒れこんでヘソ天になったり,撫でてよとばかりに頭を擦りつけてくることだってある.
しかしそれは,見知らぬ客に対しても同じだし,リラックスするというのとはまたちょっと違う.
どこか身体にチカラが入っているというか,ざーとらしいというのか.
「心まで許したわけじゃないんだからね」...ま,どーせそんなところかな.

ひょっとしたら,それが彼女流のケジメなのかもしれない.
ほんとに不器用な娘ですから.
あと何年かすれば,ぐれぐのように屈託なく甘えられるようになるんだろうか?
 

Friday, September 08, 2006

問題でないこと

一人ソファで寛いでいるりん姉.
その50cmくらい後ろから身を屈めながらジリジリ忍び寄るぐれぐ.

りん姉の尻尾の辺り,彼女が所有を主張してるのかどうか何ともビミョーな位置に,おもちゃ用の骨が落ちている.
ぐれぐはその骨の奪取に挑んだのである.

あと10cm...
ぐの企みに気づき,身体を硬くして警戒するりん.
うっすらと口を開け,りんを凝視したまま首だけを伸ばしていくぐれぐ.(あんたは亀か?)

「姐さんには他意はござんせん! あっしはこの骨だけ拝借したいんでっ!」
必死のボディランゲージが通じたのか,首尾よく骨の持ち出しに成功する.

...以上,ぐれぐの 「りん姉を地雷に見立てた肝試し」 遊びでした.

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2006年9月現在,ファームの犬の構成は,
 りん姉(熟年,女),
 アニキ(壮年,男),
 じぇち(若年,女),
 ぐれぐ(少年).

この中にあって,りん姉の立場は微妙だ.
最古参でありながら体格や体力は他の3頭に較ぶべくもない.
マンション暮し時代は何をやるにも彼女が主役だったが,ファームではほとんど仕事の順番は回ってこない.
家畜を見かけるとヒャンヒャン吼えて突進し,それで相手がビビらなければあとは無関心を装うしかない彼女は,いわゆる "弱い犬" なのだろう.

そういう犬は大抵そうだと思うのだが,他の犬に対して心が狭い.
他犬が近寄ってくると,カツカツ歯を鳴らしたりガウッたりして威嚇してしまう.
それで相手が引かなければ諍いに発展することもある.

彼女がそんな "jerkyな" 動きを多用するのは,私たちの責任かもしれない.
りんを迎えて何もかもが試行錯誤だった頃(今もそうだけど),しつけの中で私たち自身がそういう動きを使ってしまったからだ.
もちろん持って生まれた気質もあるだろうが,教えなくてもいいことを教えてしまったのは確かだ.
申し訳ないと思っている・・・って違う違う,そんなこと書きたかったんじゃない.

普通,そういう性格のメンバーが群の中でどう扱われるか? 
人間的な感覚だと,バッシングされたり避けられたり邪険にされたり,何かと窮屈な立場になりそうなものだが,実際はそうではない.
これはHiroさんに指摘されてなるほどそうかもねぇと思ったのだけれど,どうやら彼女は他の3頭から好かれてるらしいのである.

いつも退屈しているぐれぐは,わざわざ危険を冒してまで彼女の気を惹こうとする.
不器用なじぇちは適度な距離を置くことで,ガタイのでかいアニキは独特の度量を示すことで,彼女を含めたメンバー全体のバランスをとってくれている(ようだ).
そんな中でりん姉は, 「口うるさいが周りから愛されている偏屈なおばちゃん」 的なキャラを存分に発揮しながら,ノンシャランと日々を送っている.
そういえば最近はカツカツの頻度も随分と減った.
彼女は彼女なりに他の3頭を尊重しているのだろう.

家畜追いが難しい彼女にどんな役割を与えれば良いか,正直私たちに良いアイデアはない.
「力関係」 とか 「群の順位」 などという問題もあるかもしれない.
しかし人間がそんな賢しらな心配をする前に,犬たちは彼女に居心地の良いポジションをちゃんと用意してくれている.

私たちは犬の "問題" にはすぐに目がいくけれど, "問題でないこと" にはなかなか気がつかない.
そんなことがまだまだ一杯あるような気がする.
 

Friday, June 02, 2006

魔法の杖

昔,山の中をりんとさんを連れて散策していたとき,それまではしゃぎまくっていたさんが突然,山道にうずくまってしまったことがある.
頭を下げ耳を倒し,尻尾を腹の方まで巻き込んで凹んでいる.

一瞬わけがわからなかったが,そういえばその直前,拾った木の枝を振り回して,ノックみたく小石を打っていたことを思い出した(まるで子供やね).
さんがそういう状況を極端に嫌がることを知ったのはそのときである.

彼が犬や人や物音に対して物怖じしない性格であることはすでに過去のエッセイに書いた.
ずーずーしい(あるいは自分の欲求に正直)と言えましょう.
しかし,人間が振り回す棒や道具には敏感である.
はっきり言って怖がっている.
ファームの放牧地で杭打ちをしていたとき,遠く何十メートルも離れた裏庭で,人知れず這いつくばっているさんが豆粒のように見えた・・・なんてこともあった.

彼は生まれてこの方,棒で攻撃されたことは無い(はずである).
だから,この感覚は生まれつきとしか思えない.
繰り返すが,彼は人や物音を特に警戒することはないし,もちろん落ちている棒を怖がることも無い.
ただ,人が棒を持って振り回すと怖いのだ.

そう言えば,ファームの家畜たちにも棒の力は大きい.

秩序とか遠慮とか謙譲などという言葉とはまったく無縁の世界に生きているアナーキーなニワトリたち.
夕方,放牧地に散開して虫を見つけてはキャーキャー騒いでいるヤツらを回収するのは一苦労だ.
後ろから追おうとしても,すぐに方向を変えてしまう(彼らは逃げようとしてるだけだから,当たり前だが).
ところが,娘が "魔法の杖" と名づけた竹の棒をゆるゆると使うと,非常にうまくコントロールできる.
リードで引っ張ると力ずくで抵抗し,後ろから追うと好き勝手な方向にジャンプして手を焼かせるヤギどんも,同じ魔法の杖でスムーズに誘導できる.

繰り返すが,彼らにしても棒で叩かれたり攻撃されたりした経験は無い.
それでも,人が差し出す棒を避けようとするので,それを利用して誘導することができる.

なぜかはわからないけれど,彼らは,私たちが感じるよりも大きなプレッシャーを棒から受けているようである.

棒に限らず,私たちは動物とのコミュニケーションに道具を多用する.
それらを適切に使えば有効なことは実証されている.
しかし,そのときに彼らが何をどう感じているかを知る術は無い.

そもそも,効果さえあれば "そんなこと" は知る必要も無いのかもしれない.
でも,たまに "そんなこと" に思いを馳せてみることくらいは,あってもいいような気がする.

Friday, February 03, 2006

ったく、ボーダーコリーって奴は・・・



どちらかというと辛い思い出になるのですが,8年ほど前,猫ブラシを買おうと立ち寄ったペットショップで売り物の子犬たちを眺めていたことがあります.

たくさんのケージに入れられた犬たちは,それぞれ遊んだり,歩き回ったり,来店客に飛びつこうとしたり,,,いかにも子犬らしく辺り一帯が騒がしい感じでした.
そんな中で1頭,檻の中から私たちを見つめてくる犬がいました.
おそらく売れ残りだったのでしょう,ケージが窮屈なくらい大きくなっていて,容姿は地味というより何だかみすぼらしく見えました.

何をするという目的も無かった私たちがすぐに立ち去ろうとしたところ,その子は寝転がってオモチャを咥えた姿勢のまま,目だけで私たちを追いかけてきます.
別にそのこと自体は変でも何でもなかったのですが,周りのざわついた雰囲気の中,その落ち着いて妙に大人びた感じの目線に,ちょっと意表を突かれたような気がしました.

結局,その犬とは二度と会うことはありませんでした.
しかし日が経つにつれ,その意思的な目線の印象がどんどん強くなり,ついには本を繰って調べるまでなりました.
私たちが "ボーダーコリー" という名を初めて知ったのはその時です.

それ以来,子犬だった(のが今や信じられない)リンを迎え,雑誌やWebで情報を漁り,ホームページを立ち上げ,犬を通してたくさんの友人と知り合い,農場で働くシープドッグたちと交流し,見よう見まねでミニファームを作り,いつのまにか家畜たちと4頭のボーダーコリーと暮らすようになりました.
それにつれ,私たちが彼らに対して抱くイメージは少しずつ変わってきました.
いや正確には,最初はぼんやりとしていたイメージが,年を経るとともに鮮明になってきたと言うべきかもしれません.

ここでは, 「私たちにとってボーダーコリーとは何?」 なんて安直なインタビューみたいなことを書いてみたいと思います.

犬種をどう思うかなんてまぁ人それぞれの思い込みで良いじゃん,と頭の片隅で思いつつ,彼らを取り巻く状況がどんどん変わっていく中,この辺で自分たちの気持ちも整理しておきたいという気持ちになりました.
色んな思いが頭ン中でグルグルしてうまくまとまらないのですが,とにかく書き始めてみることにします.

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−2つのバランス−

結局のところ,ボーダーコリーってこれに尽きるんじゃないかと思っています.
そう,単純です.
単純だけど難しい.
難しいけどそこにある.
煙にまくような言い方ですが,正直,そんな感じです.

一つ目のバランスとは,言わずと知れた家畜追い(ハーディング)のセンスのことです.
警備係なども含めて牧羊犬の仕事も数々ありますが,ボーダーコリーがもっとも得意とするのは,放牧地に広がった羊をまとめ,ハンドラーの元に連れてくることです.
この羊というやつ,自分でやってみるとわかりますが,フラフラ動くくせに中々思う方向には進んでくれません.
「買い物カートを後ろから突っつきながら動かしていく感じ」 と表現する人もいます.

羊をうまく誘導するためには,動かしたい方向と,羊,ハンドラー,他の犬,障害物などの位置を把握して,自分がどこに立ってどれくらいプレッシャーをかけるべきかを迅速に判断して実行する必要があります.
これには視野が広いこと,状況をすばやく総合的に判断できること,デリケートな力加減ができること,根気があることなどが要求されますが,これらはまさにバランス感覚と言えるでしょう.

ただ,上のように書くと羊を動かすのがヤケに難しく聞こえますが,練習すれば子供にだってできますし,きめ細かく指示すれば他の犬種でも十分可能です.
ボーダーコリーのユニークな点は,この能力がブリーディングで培われた天賦の才能だということです.訓練で身につくものでも,人が教えるものでも,ましてやコマンドで逐一指示するものでもありません.
本能という言葉には 「理性的でない」 という悪い語感もあってあまり使いたくないのですが,生まれながらにして持っている才能や感覚のことをそう呼ぶとすれば,ボーダーコリーにとってこのバランスはまさに本能だと言えます.

もちろん,たとえバランスが本能であっても,仕事や作業としてのハーディングをこなせるようになるためにはトレーニングが必要です.しかし,そのアプローチは一般に言われるしつけや服従訓練とは異なります.
後者の目的が犬の本能を抑えつつ(人にとって)望ましい行動に誘導することなのに対して,前者はむしろ,彼らの本能を引き出して育てることにあるからです.あえて分類すれば,しつけや服従訓練は抑制的な,ハーディングは解放(あるいは育成)的なトレーニングと言えるかもしれません.

(どうも世の中ではこの辺がゴッチャにされてるような気がしてなりません.ちなみに,ハーディングのトレーニングには,"トリーツ" や "罰" や "大げさに褒める" などの細工は必要無いと言われています.人と作業することも含めて,彼ら自身の衝動や欲求がモチベータになるのでしょう.)

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−第2のバランス−

ただし,これだけで彼らが有能な働き手になったわけではありません.



実際のハーディング作業では,進む方向を途中で変えたり,群れを分断したり,作業を中断したり,時には本能に逆らった動きまで必要になります.
作業の最中,彼らは家畜を目の前にしてかなりの興奮状態にありますが,それと同時に冷静さも失っていません(作業中に尻尾が "J" の字を描くこともその証の一つ?).興奮というよりは集中と言うべきなのでしょう.家畜に神経を集中しながらもハンドラーの指示に耳を傾け共同で作業しようとしています.

この自制心と言える心のコントロールと人と共同で作業しようとする意志(あるいは欲求),これらを私たちは第2のバランスと呼びたいと思います.
このおかげで彼らは農夫たちから厚い信頼を獲得し,生活を支える仕事のパートナーになる一方で,日常生活においても友人と称えられるまでになったのでしょう.

・・・と,ここまでは,一貫してハーディングにまつわる話なので,自分とは関係の無い世界の話だと感じられた方も多いかもしれませんが,これら 2つのバランス(特に後者) は,牧場を離れた場でもとても重要だと思っています.
ボーダーコリーの特長の一つに,さまざまな環境下でも力を発揮する高い適応能力(もっと正確に言えば,人の意に沿って積極的に環境に適応しようとする意志と能力)があります.
牧羊業が斜陽となってからも,彼らはさまざまな役割を担って人間社会に入っていくことになるのですが,それにはこの適応能力が大いに働いたはずです.

だだっ広い牧場で状況に俊敏に対応するため,彼らは敏感で繊細な神経を備えています(=第1のバランス).これはもちろん彼らの長所でありそれを目指してブリードされてもきたわけですが,刺激の多い人間社会で暮らすには時としてハードルになることもあります(例えば音や動くものに過敏に反応する傾向などは良く知られています).
しかし実際には彼らは,必ずしも快適でない環境でも人と一緒に行動することを好み,さまざまな要求に応えようとします.
これには,彼らに培われた第2のバランス,すなわち "自制心を持って人に従おうとする意志" の果たす役割が大きいのではないでしょうか?

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−シープドッグという名の家庭犬−

私たちを含めて,ボーダーコリーを家庭犬として迎え,共に暮らすことを楽しんでおられる方は多いと思います.
彼らが家庭犬として適しているかどうかは人によって意見が分かれる(あるいは ”家庭犬” の意味が人によって違う)かもしれませんが,人の感情や意図をきめ細かく汲み取り,人とともに行動しようとする犬だということは異論の無いところでしょう.
この性質は,それを目指してブリーディングされてきたというよりは,むしろハーディングにおける第2のバランスを追及する過程で備わってきたものだと私たちは考えています.

世の中には,彼らを勝手に分類して(例えばショウ系とかワーキング系とか,あるいは家庭犬とかスポーツドッグとか),しかも 「ワーキング系はハイパーで飼いにくい」 などのレッテルを貼ってしまう風潮が一部にはあります.あるいは, 「家庭犬には必要無いので,ハーディング本能は弱めていくべきだ」 という意見まで耳にすることもあります.またその一方では,競技会などで活躍する例が多いからでしょうか, 「ボーダーコリーを持った以上,何かをしなくては!」 と焦りにも似た感じを抱く人も多いようです.



これらは一見もっともらしいし,ある意味わかりやすくもあるので,何となく納得してしまいがちなんですが,私たちには賛成できません.
ボーダーコリーはボーダーコリーです.
世界中に散らばった彼ら1頭1頭の身体には,例外なくスタッドブックの1ページ目に記載された犬の血が流れています.何世代もかけて磨かれてきた優れたバランス感覚を身に備えているはずです.

自分の立場や役割を理解し,家族の一員として楽しく穏やかに暮らしていくことも,シープドッグの重要な資質の一つです.
たとえ羊を追う環境は無くとも,シープドッグという名の家庭犬は存在するのです.

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−幸運な偶然−

繰り返しますが,ボーダーコリーは2つのバランスを目指して農場で作られてきた犬です.
その子孫は私たちにも身近な存在となり,さまざまな形容が与えられるようになりました.
曰く 「頭が良い」,曰く 「運動神経が良い」, 「人間に忠実」 「訓練性能が良い」 「スタミナがある」 「均整のとれた頑健な身体」,etc,etc.
つまり,農夫たちがひたすら自分たちの働き手を確保しようと作ってきた犬が・・・ただ役に立つかどうか,優れたバランスを持っているかどうかで選別されてきた犬が・・・結果としてどんな犬種よりも人に近く,あらゆる競技や仕事で活躍する犬になったわけです.
これって,,,もしかしてとても稀有な偶然と言えるんではないでしょうか?



バランスというのは何かができるとかできないとか,ましてや勝った負けたの問題ではありません.さまざまな能力や性格や身体が一個の生物個体の中でどのように調和しているか?ということです.
感覚的であり不可視であり,おそらく主観的なものでしょう.その意味で奥深く難しい性質と言えるかもしれません.

しかし,じゃあ私たちがおいそれとは実感できないかというとそうでもありません.
例えば,私たちがある農場で熟練したシープドッグと作業させてもらったとき,ド素人の私たちにもその一端を感じることができました.

彼らが暮らす世界がどうあれ,それらは大なり小なり彼らの血の中に引き継がれています.
つまり "すぐそこにある" んです.
あとは,彼らの中にある良いものを見出し,育み,そしてそれを感受するために,私たちの側に少しばかりの心配りと忍耐さえあれば・・・,ということだと思います.

ただしバランスというのは,特にそれが絶妙であればあるほど “壊れやすい” ものです.
育て方によってはその犬のバランスが崩れることもあるでしょうし,また長年にわたって培われてきた彼らの特質が,これから先も引き継がれていくという保障もありません.
特に彼らの生活の場が広がってしまった現代では,ここに書いたような性質をどうやって保持していくかは,意外に厄介な問題かもしれません.

ボーダーコリーと関わりを持つ少しでも多くの人が,彼らが本来持っているはずの長所を理解することで,,,そういう目で犬たちに接することで,,,そしてその思いがブリーディングやトレーニングなど様々な場に浸透していくことで,,,少しずつ良い方向に向かっていかないかなぁと思ったりします.

しつこいようですが,ハーディングは人から犬への一方通行の指示ではなく,彼らの天賦の力を借りながらパートナーとして共同で進める作業です.そしてそのために農夫たちによってブリードされてきた犬がボーダーコリーです.どんな形であれこの犬たちとの暮らしを楽しむ以上,この事実は尊重したいと思っています.

ある著名なハンドラーの言葉:
「従順な犬が仕打ちを恐れずに疑問を表現できること,それはトレーナーとしての誇りである」
いつかそういう関係になれるようにと願いながら,個性豊かなボーダーコリーたちと暮らしています.

彼らとの出会いも含めて,幸運な偶然に感謝しつつ...