Thursday, August 04, 2005

草刈りしながら思ったこと

 この頃,毎週と言っていいくらい草刈りしてます.
 梅雨や台風の雨で元気一杯の雑草たち.
 もはや手で引くなどという生易しい状況ではなく,草だか木だかわからないようなやつを,刈り払い機でバリバリぶった伐っていきます.刈ってもすぐにまた茂ってくるので,この時期,作業に終りはありません.

 朝夕の涼しい時間帯でも,30分で汗だくです. (←このぉ軟弱者っ!)
 ただ,しんどいだけでもなくて,作業中は頭をからっぽにできるし,一休みして征服した場所を眺めるのは良い気分です.もしかしたら新しいスポーツにできるかも.
 (誰かかっちょいいウェアでもデザインしてくれないかな?)

 無節操に生えてるかのような雑草たちですが,一度刈った場所では前と違った種類の草が繁っていたりして,ちゃんと棲み分けしています.
 きっと,発芽のタイミングや日光のちょっとした加減などで,デリケートな力学が働くのでしょう.虫や小動物たちも大いに影響を受けてるはずです.

 そうやって生き残りゲームに懸命な草や虫たちを,ガーガーとうるさい道具でなぎ倒していくってんだから,やっぱり人間ってぇのは乱暴なもんじゃねーですか.
 その一方で,姿を変え形を変えて再生してくる雑草を相手にしてると,人間のやることなんて多寡が知れてるという気がしてきますし,それがビミョーに嬉しかったりもします.

 よく, 「人間は自然に対して大きな力を持つようになった」 と言いますが,私には全然そんな風には思えません.だって天災の類にはほとんど無力なままだし,第一,自分の身体ですら,誕生とか寿命とか健康とか免疫とか本能とか,大事なところはまったく意のままにできないのですから.

 例えば 「自然破壊」 という言い方がありますが,これからして人間の思い上がりとゆーか,随分と手前味噌に聞こえます.人間に自然が壊せるもんか,ただ単に自分たちが住みにくくなるだけじゃねーか・・・って.
 そして,それすらもコントロールできないでいるのだから,私たちはもっともっと進化して賢くなる必要があるのでしょう.何世代かかるかわかりませんが.


 ところで話は飛びますが,最近,「もったいない」 が日本独特の表現だとかで注目を集めていますが,私は 「里山」 というのもなかなかのもんではないかと思っています.
 ひょっとしたら世界に誇れる文化ではないかと.
 ちゃんとした定義は知りませんが,シバや山菜を採ったり,キノコを作ったり,炭を焼いたり,子供が沢で遊んだり,,,ちょっとだけ人の手が入った山裾あたりの雑木林です.

 山で暮らす動物たちとの緩衝地帯であり,交流地帯でもある所.
 広葉樹たちが茂っていながら,地面にまで日光が届く所.
 妖怪やお化けたちがどこかに隠れていそうな所.
 犬たちが目と鼻を輝かせて探索する所.

 個人的にはですよ,例えばわざわざ熱帯まで出かけて行ってマングローブを植樹したりするのはどーもピンと来ないんですが,土地と折合いをつけていく里山方式だって立派な環境運動だと思うんです.自分たちが暮らすために,,,というところがまっとうな感じがします.

 いつの頃からか自然は,どこかに大事に "保存" しておいて,たまに出向いて "触れ合"ったり "満喫" したりするものになってしまったのですが,私たちはもう一度,自分たちこそ自然そのものであり,それ以上でも以下でもないことを肝に銘じるべきではないでしょうか.

 どこにでもあった里山も,最近は開発されるか,人手が不足して荒れていくところが多いようです.今の進化段階にある人間がそこそこ上手く暮らしていくためには,そこそこイケてる知恵ではないかと思うのですが・・・.

 そうそう,フェンスで囲ったドッグランも良いのですが,里山を育んで人や犬に開放するってぇのはどーざんしょ?

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