Tuesday, August 16, 2005

煮干し作戦

私の子供の頃,下町には必ずといっていいほど野良犬がいました.
まだ沢山残っていた原っぱや空き家やお宮さんの広い敷地などをねぐらにしていました.
野良犬と子供たちの生活圏は不幸なくらい一致していたのですが,不思議と事故はありませんでした.お互いに見て見ぬ振りしながら,何となくうまくやってたのでしょう.
でも大体,犬は子供が嫌いだったんじゃないかな?
普段から騒がしいし,中には石持って追いかけるヤツまでいたしね.

今から思えばのんびりした風景ですが,それでもすでに野良犬の生活は厳しかったようです.どいつもこいつも痩せっぽちでしたし,彼らが産んだ二世には出会った記憶がありません.(牛乳ビンと一緒にダンボールに入った子犬はよく見かけましたが)

そういえば 「野犬狩り」 なんてのもありましたね.犬を引っかける道具を持った作業員が,トラックで地域を見回っていました.
私,あーいうのは子供にも見せた方が良いと思うんですよ.
痩せ犬がひっつかまってトラックに詰っ込まれるシーンなんか目撃すると,そりゃあもうえらいショックです.
でも激しく感情を揺さぶられたら,自分で何かを考えずにはおられません.

私は野良犬が好きでしたので,いつもポケットに煮干を忍ばせて,彼らを見かけるたびに辛抱強く手なずけていました.
思えばそれは,本来彼らが備えるべき人間に対する警戒心を奪ったり,あるいは,飢えた相手に対して失礼な態度だったかもしれません.
もちろん当時はそんなことまで考えるはずも無く,とにかく彼らに接したい一心でした.
自分でもちょっぴり偉かったなと思えるのは,相手がどんなに汚くても厭わずちゃんと触れていたことです.

私は犬との接し方を彼らから学んだ気がします.警戒心の強そうな子の時は,ちょっと斜め向きにしゃがんで,相手が近づいてくるのを待って手の甲で肩に触れるというのが自分流の挨拶でした.それでしばらく一緒にいてくれる子もいれば,プイッといなくなるのもいました.
これが "正しい" やり方かどうかは知りませんが,少なくともケガをしたことはありません.だいたい,人間が嫌いな子は最初から近づいてきやしませんでしたしね.

あ,そういえば一度だけ,すっかり気を許してくれたように見えた犬が,いきなり私の胸に歯を突き立て,そのまま走り去っていったことがありました.
彼の見せた一瞬の敵意は,犬の扱いに慣れた気になっていた自分にとって本当に意外で,服に開いた穴を見つめたままボーゼンとしてました.
今もって,彼がなぜそんなことをしたのかわかりません.
でもその鋭い胸の痛みと, 「これでまたやり直しやん〜」 と頭の中でつぶやいて泣きそうになったことは,今でもよく覚えています.
これも,私の大切で貴重な経験です.

白状すると私は,街ン中に野良犬くらいいたっていーじゃんって,今でも思っています.
誰のものでもなく,囲われても繋がれてもいない犬と対等に交流できる機会を,今の子供たちにも残してやれないものかと.
不安なもの,怖いもの,いらないものを社会から締め出すのが世の習いですが,それらを最初からまったく知らないというのも,危なっかしいような気がします.

・・・あぁ,だめだっ,またスラスラヌケヌケとうそ書いてる ^^;
ほんとは子供らのことなんかこれっぽっちも考えてないくせに〜.
はい,すんません,ただ 「いたっていーじゃん」 って思ってるだけです.
さすがに今となっては,野良犬と一緒に遊びたいとは思いませんが,街角で出会った彼らと何食わぬ顔ですれ違いたいもんだと思っています.そんなけです.

余談ですが,街でうろつく野良犬は,生きるのにカツカツで人を襲う元気も体力もなかったし,そんなリスクを犯すほどバカでもありませんでした.
今も昔も,人を襲うのは繋がれっぱなしで体力を持て余した半分神経症の飼い犬ですし,襲われるのは動物とのつきあいの配慮を欠いた人間です.

Thursday, August 04, 2005

草刈りしながら思ったこと

 この頃,毎週と言っていいくらい草刈りしてます.
 梅雨や台風の雨で元気一杯の雑草たち.
 もはや手で引くなどという生易しい状況ではなく,草だか木だかわからないようなやつを,刈り払い機でバリバリぶった伐っていきます.刈ってもすぐにまた茂ってくるので,この時期,作業に終りはありません.

 朝夕の涼しい時間帯でも,30分で汗だくです. (←このぉ軟弱者っ!)
 ただ,しんどいだけでもなくて,作業中は頭をからっぽにできるし,一休みして征服した場所を眺めるのは良い気分です.もしかしたら新しいスポーツにできるかも.
 (誰かかっちょいいウェアでもデザインしてくれないかな?)

 無節操に生えてるかのような雑草たちですが,一度刈った場所では前と違った種類の草が繁っていたりして,ちゃんと棲み分けしています.
 きっと,発芽のタイミングや日光のちょっとした加減などで,デリケートな力学が働くのでしょう.虫や小動物たちも大いに影響を受けてるはずです.

 そうやって生き残りゲームに懸命な草や虫たちを,ガーガーとうるさい道具でなぎ倒していくってんだから,やっぱり人間ってぇのは乱暴なもんじゃねーですか.
 その一方で,姿を変え形を変えて再生してくる雑草を相手にしてると,人間のやることなんて多寡が知れてるという気がしてきますし,それがビミョーに嬉しかったりもします.

 よく, 「人間は自然に対して大きな力を持つようになった」 と言いますが,私には全然そんな風には思えません.だって天災の類にはほとんど無力なままだし,第一,自分の身体ですら,誕生とか寿命とか健康とか免疫とか本能とか,大事なところはまったく意のままにできないのですから.

 例えば 「自然破壊」 という言い方がありますが,これからして人間の思い上がりとゆーか,随分と手前味噌に聞こえます.人間に自然が壊せるもんか,ただ単に自分たちが住みにくくなるだけじゃねーか・・・って.
 そして,それすらもコントロールできないでいるのだから,私たちはもっともっと進化して賢くなる必要があるのでしょう.何世代かかるかわかりませんが.


 ところで話は飛びますが,最近,「もったいない」 が日本独特の表現だとかで注目を集めていますが,私は 「里山」 というのもなかなかのもんではないかと思っています.
 ひょっとしたら世界に誇れる文化ではないかと.
 ちゃんとした定義は知りませんが,シバや山菜を採ったり,キノコを作ったり,炭を焼いたり,子供が沢で遊んだり,,,ちょっとだけ人の手が入った山裾あたりの雑木林です.

 山で暮らす動物たちとの緩衝地帯であり,交流地帯でもある所.
 広葉樹たちが茂っていながら,地面にまで日光が届く所.
 妖怪やお化けたちがどこかに隠れていそうな所.
 犬たちが目と鼻を輝かせて探索する所.

 個人的にはですよ,例えばわざわざ熱帯まで出かけて行ってマングローブを植樹したりするのはどーもピンと来ないんですが,土地と折合いをつけていく里山方式だって立派な環境運動だと思うんです.自分たちが暮らすために,,,というところがまっとうな感じがします.

 いつの頃からか自然は,どこかに大事に "保存" しておいて,たまに出向いて "触れ合"ったり "満喫" したりするものになってしまったのですが,私たちはもう一度,自分たちこそ自然そのものであり,それ以上でも以下でもないことを肝に銘じるべきではないでしょうか.

 どこにでもあった里山も,最近は開発されるか,人手が不足して荒れていくところが多いようです.今の進化段階にある人間がそこそこ上手く暮らしていくためには,そこそこイケてる知恵ではないかと思うのですが・・・.

 そうそう,フェンスで囲ったドッグランも良いのですが,里山を育んで人や犬に開放するってぇのはどーざんしょ?